黒い春 ☆☆☆☆

(黒い春 / 山田 宗樹 / 幻冬舎文庫 2005)

山田宗樹さんは「嫌われ松子の一生」の作者として知っていましたが、読むのは本作が初めてです。本作は作者の第3長篇で、「嫌われ松子~」の前、2000年に書かれたものですが、謎の疫病の蔓延と、それを防ごうとする医師・科学者らが主役で、まさに現在の状況を予言していると言ってもいいかもしれません。

ある年の5月、監察医務院の監察医・飯守俊樹は、覚醒剤中毒で死んだと思われる17歳の少女の遺体を解剖した際、少女の肺に黒化している部位があるのに気付きます。死因には関係ないものの、そこには見たことのない真菌らしき痕跡があり、少女が新種の真菌症に罹患していた可能性も考えられました。飯守はプレパラート標本を作成し、院長の町田の許可を得て東京都立衛生研究所へ同定を依頼します。同研究所の真菌研究室長の岩倉和正は、部下の研究員と共に送られてきた標本を観察しますが、それは通常の真菌の10倍以上の直径を持つ棘だらけの黒色の胞子で、どこか禍々しさを感じさせる姿でした。とりあえず岩倉は、その胞子についての報告を月報に掲載して周知することにします。その月報に目をとめたのは、国立感染症研究所の若手研究員・三和島篤郎でした。博士論文のテーマを探していた三和島は、興味を持ち、黒色胞子のサンプルを送ってくれるよう岩倉に依頼します。以前に三和島が学会で発表するのを見ていた岩倉は、三和島の実力を買っており、さっそくサンプルを送ります。三和島は培養を試みますが胞子は反応しません。そればかりか、独断専行型で協調性の薄い三和島は上司の北山に目をつけられており、半ば嫌がらせのように研究の中止を命じられてしまいます。
これで3人の主人公が出揃ったわけですが、3人ともプライベートで悩みを抱えています。飯守は、愛妻・雪子との間で不妊治療がうまくいっていませんでしたが、この夏ようやく雪子は妊娠に成功します。岩倉は、嫁と姑の板挟みになっており、反抗期の高校生の息子・秀志との親子の断絶にも悩んでいます。三和島は、恋人の志保に一方的に別れを告げられたばかりでした。
翌年の5月、都内の大学生が、教室で突然せき込むと、口から黒い粉のようなものを大量に吐き出して絶命するという事件が起こります。解剖を担当した飯守は、昨年見つけた黒い胞子が遺体の肺に充満しているのを発見します。報告を受けた衛生研究所の岩倉は不安を覚え、さっそく全国の保健所に通知を出して、似たような症例があったら報告してもらうよう要請します。そして、三和島にも状況を知らせて協力を要請しますが、公私ともにどん底状態で投げやりになっていた三和島は、色よい答えをしません。やがて岩倉の不安は的中し、いくつかの府県から同じ症例の報告がぽつぽつと上がってきます。傾向を見る限り、滋賀県を中心とした関西圏で複数の症例が出ており、東日本ではごくわずかでした。しかし、致死性の高さ(発症した患者は、間をおかず呼吸不全で死亡しています)を重要視した岩倉は、上司の坂東部長と所長の須藤に進言し、厚生省を通して感染症研究所に協力を要請します。
その直後、正体不明の感染症の存在がセンセーショナルな扱いで週刊誌に掲載されます。記事では勝手に黒手病と名付けられ、以降この名称が定着します(咳をした際に口を押えた手が胞子で真っ黒に染まることから、黒死病を意識して名付けられたようです)。この時点で、報告された症例は20件でしたが、対処しているという姿勢だけは見せたい厚生省は(現実の役所と同じですね)、須藤、坂東、岩倉の3人を呼びつけて対策チームを結成するよう命じます。岩倉は、メンバーとして飯守と三和島を指名し、厚生省からそれぞれの機関に要請を出してもらいます。
飯守は、雪子の心配と自らの不安を押し切って参加を決め、事態の深刻さにやる気を取り戻した三和島も積極的に参加してきます。最初のミーティングで20の症例の分布を見た三和島は、7例が滋賀県に集中していることから琵琶湖に原因があるのではないかと仮説を立て、さらに他県の被害者が滋賀県と関係している可能性を提示します。すぐに岩倉が各県に照会すると、三和島の予測通り、患者のほぼ全員が過去1年以内に滋賀県を旅行していたり、滋賀に実家があったりという共通項が見出されました。特に注目を集めたのは、秋田と福島の症例では、患者はいずれも古代史の愛好家で、昨年秋に一緒に滋賀県を訪れ、地元の郷土史研究家・長内(この人物も黒手病の犠牲になっています)と行動を共にしていた点でした。長内は、地元出身の遣隋使・小野妹子を研究しており、大胆な仮説で本を出そうとしていました。独身で身軽な(笑)三和島は、自ら志願して琵琶湖に浮かぶ小島・沖島を訪れます。ここは、昨年11月に長内ら3人が訪れた場所で、島の中心にある宝来神社では最近、古代の石棺が発見され、内部に人骨が残っていました(3人は、これを見に来たのだと思われます)。島へ渡る定期船に乗った三和島は、植物採集に来たという大学院生・楠本京子と知り合います。京子は、修士論文のテーマである帰化植物ニオイタデに発生した新種の“さび病”のサンプルを採取に来たのでした。二人は斜面の険しい獣道を一緒に上り、帰りは足をくじいた京子を三和島がおぶって下ることになります。その場はそのまま別れましたが、その後も二人はメールをやり取りし、お互いに意識するようになっていきますが――。
同じ頃、岩倉は、息子の秀志の通っている学習塾の歴史教師・西条から、長内が研究していた小野妹子についてレクチャーを受けていました(副産物として、西条の口から秀志の意外な一面を知らされます)。端折って言えば、小野妹子の帰朝に合わせて隋から同行してきた従者が記録から消えており、その人物こそが沖島の宝来神社の石棺から発見された白骨ではないかというわけです。岩倉は、その人物が黒手病に感染していたのではないかと感じますが、当時の記録には黒手病のような病気が発生したことは記されていません。
黒手病はすっかり消え去ったかのように思えましたが、5月の声を聞くと共に、再び症例が報告され始めます。最初の犠牲者は、楠本京子でした。三和島は、京子が感染したのは沖島でに違いないと確信し、そうであれば自分も感染しているはずだから自分を徹底的に調べて黒手病の正体を突き止めてほしいと申し出ます。しかし、つくば医科大の真菌研究室で精密検査をしても、彼が感染している証拠は見つかりません(真菌の感染マーカーは、黒手病に感染した際も上昇するはずですが、三和島のマーカーは正常値でした)。沖島へ渡った際の自分と京子の行動の違いといえば、京子がニオイタデを採取しただけということに気付いた三和島は、京子の恩師である今井教授を訪ね、ニオイタデのさび病を引き起こす原因菌が黒手病の病原体ではないかと質問します。ニオイタデの特異なライフサイクルを考えると、十分に考えられると今井教授は言うのでした。ニオイタデの実物を採取した三和島は、黒手病の胞子をニオイタデに移植し、さび病が発生することを確認します。
こうして、ニオイタデ(正確には、ニオイタデにさび病を引き起こす菌の胞子)が黒手病の原因だと判明します。岩倉らは、しぶる厚生省を説得して事態を公表させ、ニオイタデが胞子を放出する前に(11月に入る前であれば、危険はありません)見つけて処分することに協力するよう、全国民に呼びかけます。当然のことながら、ボランティアとなって里山や野原を調査する人々もいれば、マスクを買い占めに走る人、ニオイタデの葉を大勢の人の前でばらまいて「感染させてやる」と叫ぶ問題行動を起こす連中も現れ、反応は様々ですが、概ね国民は平静に事態を受け止めているようでした。そんな中、飯守の妻・雪子と息子の大輔が、彼らを逆恨みしている岡島美保子(雪子よりも先に不妊治療が実って妊娠したものの流産してしまい、それが原因で離婚し、すさんだ生活をしています)にニオイタデの葉を擦り付けられるという事件が起きます。大輔が感染したのではないかと半狂乱になる雪子ですが、実際に胞子を吸い込んでしまっていたのは雪子でした。
発症を覚悟した雪子は、半年後に迫る(かもしれない)死を正面から受け止めようとし、ひそかに終活を始めます。飯守は、つくば医科大の岡部助教授の協力を受け、可能な限りの抗真菌薬を雪子に投与して発症を抑えようとしますが、副作用が激しく、体力を奪われた雪子は自宅へ戻る選択をします。黒手病が発症する5月を迎えても、雪子は発症の兆しを見せず、ついに6月の声を聞きます。
その頃には、様々な調査によって、黒手病の発症の地がベトナムと中国の国境近くであること、その病原体は隋を経由して日本へ持ち込まれたものの、宿主であるニオイタデが当時の日本にはなかったことで、流行に至らなかったことなどが判明していました。やがて巡ってくる来年の5月には黒手病を制圧すべく、岩倉や三和島の努力は続きます。(クーンツ作品のようなハッピーエンドを許さないリアルで重い結末ですが、絶望感を感じさせるものではありません)

オススメ度:☆☆☆☆


黒い春 (幻冬舎文庫) - 山田 宗樹
黒い春 (幻冬舎文庫) - 山田 宗樹

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント