事件 ☆☆☆☆☆

(事件 / 大岡 昇平 / 双葉文庫 1999)

1978年に第31回日本推理作家協会賞(長篇部門)を受賞した、ドキュメント・タッチの事件小説です(リアルな法廷ミステリとして出色です)。作者の大岡昇平さんは、「俘虜記」「野火」といった戦記文学、「武蔵野夫人」などの作者として知ってはいましたが、ジャンルが守備範囲外(笑)のため、これまで読んだことがありませんでした。とはいえ、ミステリ分野にも大きな足跡を残しているという評価も高く、機会があれば読んでみたいと思っていました。双葉文庫版の「日本推理作家協会賞全集」の1冊として、今回手に取ることができました。

神奈川県中部、相模川沿いに位置する金田町(架空の町ですが、位置関係からすると、寒川町か海老名市に近いでしょう)の山林で、若い女性がナイフで胸を刺された死体で発見されます。被害者の坂井ハツ子は23歳ながら、新宿でホステスをした後、実家がある金田町に戻り(父親は亡くなっており、母のすみ江、妹のヨシ子19歳と同居)、厚木駅前に小さな飲み屋を開いて生活の糧を稼いでいました。容疑者として逮捕されたのは、ヨシ子と付き合っていた工員で、姉妹とは幼馴染でもある19歳の上田宏でした。実はヨシ子は宏の子を身ごもっており、二人は真剣に結婚して子供を育てようと決心していましたが、親に知られれば反対される(中絶を要求される)に決まっていると考え、ひそかに家を出て横浜のアパートで暮らす計画を立てていました。ハツ子だけはヨシ子の妊娠を知っており、何度も中絶を進めていましたが、たまたま長後の町に飲み屋のツケを集金に行った帰り、大和市の運送店でトラックを借りる約束をしていた宏に出会い、宏の自転車の後ろに乗って金田町へ帰ることのなります。目撃者の証言によると、ふたりは激しく言い争っていたといいます。その後、宏は独りで自転車を押し、ハツ子の死体が見つかった山道を下りてくるのを、地主の大村老人に目撃されています(山を見回り中、死体を発見したのも大村老人でした)。翌日、宏とヨシ子は計画通り、借りたトラックで駆け落ちを決行し、横浜のアパートで何事もなかったかのように生活していました。しかし、転職した自動車工場でも普通に働いていました宏は、刑事の訪問を受け、素直に連行されました。検事による取り調べでは、宏は警察の見込み通り(←ここに注目。つまり最初から警察は「見込み捜査」をしていたわけです)、ハツ子からヨシ子との駆け落ちを反対され、親に言いつけると脅されたため、その日に大和市の金物店で買ったナイフで刺し殺し、死体を崖下の茂みに落としたと供述しました(ただし、刺した瞬間のことは、覚えていないと主張します)。宏は未成年でしたから、事件はいったん家庭裁判所に回されましたが、審理によって刑事処分相当となり、横浜地方検察庁へ送致されました。
宏の中学時代の担任である花井は、成績優秀で学級委員も務めていた宏が殺人を犯すなど信じられず、できる限りのことをしてやりたいと考えました。そこで花井は、高い弁護士費用など払えないから裁判では国選弁護人で十分と言い張る宏の父(実は所有していた土地を工場用地として高く売っていたので、金はあるはずなのですが)を説得し、裁判官出身で有能な菊地弁護士(花井の遠縁でもあります)に頼み込んで、宏の弁護を引き受けてもらうことに成功します。宏がハツ子をナイフで刺した事実には争いがないため、菊地弁護士は罪状を傷害致死または過失致死に持ち込もうと考えますが、一方、横浜地検の有能な岡部検事は、宏があらかじめハツ子を殺すつもりでナイフを購入し(殺人予備)、殺意を持ってハツ子を自転車に乗せて人けのない山中に誘い込み、ためらいなく刺殺した殺人罪と、その直後に死体を崖下に隠した死体遺棄罪で事案を構成しようと考えていました。当然、岡部検事は、それを立証すべき証人たち(当日、宏とハツ子が言い争っていたのを目撃した雑貨店主、宏がナイフを購入した金物店の店主、事件の少し前に厚木のハツ子の店で宏、ヨシ子、ハツ子が中絶をめぐって論争していたのを聞いたという数人の客、犯行直後の宏と言葉を交わした大村老人など)を申請して、万全を期しています。菊地弁護士は、自分の代わりに関係者に事情を聞いてくるよう、話に依頼します。素人の花井は苦労しながらも、宏を助けたい一心で、ハツ子の母すみ江やヨシ子から坂井家の詳細な事情を聞き込み、検察も知らない事情を引き出します。検察側の証人として申請されているハツ子の店の客、宮内が、単なる客ではなく新宿時代のハツ子の情夫で、ハツ子を追うように大和市内に転居してきており、店内で我が物顔で振舞うため真っ当な客足が遠のき、ハツ子の店の経営が傾きかけていたのです。おまけにハツ子の死後、宮内はハツ子が署名した借用証を見せて、店を処分して得られた10万円を懐に入れていました(ハツ子と別の女と二股をかけていたことも、後に菊地弁護士の調査で明らかになります)。
古株の谷本裁判長、中堅で人情家の野口判事補(悩める判事としての内面や、家庭人としての側面も描かれます)、若手でドライな矢野判事補の3名が担当し、横浜地裁で審理が開始されます。当時(最初に新聞連載されたのは1961年、大幅に加筆修正されて単行本化されたのが1977年)の刑事訴訟法に沿った現実の裁判手続きが忠実に描かれますが、退屈することはなく(ただし、刑事訴訟法や裁判用語を知らないと、ついていくのに苦労するかもしれません)、まさにハミルトン・バーガー対ペリー・メイスンといった法廷での迫力ある駆け引きから目を離すことができません。詳細は紹介しきれませんので、後は実際に読んでくださいとしか言えません。現在では、創元推理文庫から刊行されているものが、いちばん入手しやすいと思います。

オススメ度:☆☆☆☆☆


事件 (双葉文庫―日本推理作家協会賞受賞作全集) - 大岡 昇平
事件 (双葉文庫―日本推理作家協会賞受賞作全集) - 大岡 昇平

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